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2024年7月15日


COCOON PRODUCTION 2024
『ふくすけ 2024−歌舞伎町黙示録−』観劇レポート


松尾スズキ伝説のダークエンタテインメント
情熱的な三味線の音色が興奮を掻き立てる!

  それまでの価値観や人生観が覆される舞台に出会うときがある。この作品は間違いなくその一本だろう。さまざまな情景が脳裏に焼きついて離れない。ヒリヒリするような感覚と、相反する滑稽さや可笑しみ。人はみな母の胎内から誕生する点では平等であっても、生まれもっての姿形や環境には、ときに格差や不平等が生まれる。そのどうしようもないところでもがきながら、何としても生き抜こうとする人々の負のエネルギーが、全編を通して充満。熱風に吹き飛ばされないよう、観客も必死に食らいつく。この心地よい緊張感は生の舞台ならではだ。

松尾スズキ作・演出・出演の舞台『ふくすけ2024−歌舞伎町黙示録−』が、7月9日にTHEATER MILANO-Zaで開幕した。1991年に誕生し今回が12年ぶり、4度目の上演。作品の舞台となっている新宿・歌舞伎町のど真ん中にある劇場での観劇は刺激的で、リアルとファンタジーの境界を見失いそうになる。

物語は、少年院あがりのコオロギ(阿部サダヲ)が、弟子入りした日本舞踊の家元の家を、盲目のサカエ(黒木華)とともにワケあって出奔するエピソードから始まる。ここは2024年版として書き加えられた箇所。今回はコオロギとサカエを主軸に、細やかに台本がリニューアルされ、その後夫婦となる二人の複雑な関係性やバックボーンが描かれている。寂しさを抱えるコオロギの爆発的な怒りと、サカエへの歪んだ愛情。阿部の何をも恐れぬしたたかな目や、俊敏な身体能力が、コオロギの得体の知れなさを増幅している。また、松尾スズキ演出の舞台に初出演の黒木は、杖をついてススッと現れる姿から清廉な存在感を発揮。コオロギを献身的に愛する彼女のつつましさに、瞬時、別の色が混じる不気味さをナチュラルに醸し出す。


昭和時代とおぼしき新宿。ここに様々な思惑の登場人物が集まる。14年前に失踪した妻のエスダマス(秋山菜津子)の目撃情報を頼りに、北九州から上京したエスダヒデイチ(荒川良々)。彼に声を掛けたホテトル嬢のフタバ(松本穂香)は、マスの行方を自称ルポライターのタムラタモツ(皆川猿時)と一緒に探すことに。そのマスは、歌舞伎町の風俗産業で成り上がったコズマ三姉妹(伊勢志摩・猫背椿・宍戸美和公)と出会い、まるで闇から抜け出したような人生のスポットライトを浴びてゆく。

2012年上演の前回は大竹しのぶが演じたマスを、秋山がまた違ったカラーで演じている。どん底からはいあがる女の強さを、男勝りな格好よさで魅せる。その中に閉じ込められている哀しみが、骨の髄まで彼女をむしばんでいるのが伝わり切ない。一見弱々しいヒデイチの純愛は、ある意味観客が一番寄り添いやすい感情かも。荒川の純度100%の復讐劇が、大きなカタルシスを与えてくれる。松本穂香はマスコットがいくつも付いたキュートな装いと、舌足らずな話し方が愛らしく、ヘビーな舞台に鮮やかな色彩をもたらす。裏社会を知り尽くしたような皆川の演技、魔女感さえ漂う伊勢・猫背・宍戸の怪しさ。大人計画の面々ならではの異色の存在感がやはり際立つ。

 
そして本作のタイトルロール、少年フクスケを体当たりで演じたのが岸井ゆきの。初演では温水洋一、再演からは阿部サダヲが演じた大役を、小柄な女性の岸井がどう演じるのか。その杞憂はハードロック調の曲で踊り出す登場シーンから一蹴された。薬剤被害により身体障がい児として生まれ、長い間監禁されていた14歳の少年。巨頭を揺らし、反逆児のように挑発的なパフォーマンスを見せるフクスケが、なぜか愛おしく見えてくる。彼はコオロギが勤める病院に保護され、一躍、世の注目を集めるが、深く根付いているコンプレックスはどんどん膨れ上がり、劇中の長台詞で爆発する。まるでラップのナンバーを歌うかのように放たれる強すぎる言葉、思い。初演時20代の松尾の怒りが込められているような台詞が、格差社会が増長した不安定な現代、さらにストレートに響き、身震いする。その松尾はフクスケを偏愛し、逃走する製薬会社の御曹司・ミスミミツヒコとして登場。謎のステップまで見せて、観客の笑いを誘っていた。

 
コオロギの愛人・チカをパワフルな色気を放ちながら演じた内田慈、大きな声でストーリーテラー的な立ち位置もこなした団長の町田水城、何役にも扮する河井克夫・菅原永二・オクイシュージの玄人的なキャラの演じ分け。本格的なソプラノ歌唱まで披露する総勢28人のキャストが大健闘。さらに近年松尾がこだわっている和の音楽が本作でも欠かせない芯になっていて、黒木たちも踊る和製レビューのようなショータイムまであり。津軽三味線の力強い音色が興奮を掻き立て、ときに哀愁を帯び、日本人の情感に深く染み入ってくる。ある種、歌舞伎を観ているような爽快感があった。



  風俗、新興宗教、暴力、殺人……。あらゆる要素とエピソードが一気に繋がってゆく後半の疾走感は相当なもの。回り舞台を使った素早いセット転換。ステージ前面には張り出し舞台が設けられ、ここを演者が駆け抜け、激しい芝居も見せる。本舞台との間に作られたオーケストラボックスのような穴には人々が吸い込まれ、まるでブラックホールのよう。気付かぬうちに落ちる穴。どこにでもある穴。そこからいかに這い上がるか。力強い悪の狂騒曲、究極のダークエンタテインメントに、最後はポカーンと心が空っぽになる。



  取材・文:小野寺亜紀

撮影:細野晋司

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